劇団には必ず演出家がいるわけだけど、劇団の団長、座長が兼務している場合もあり、脚本家も兼ねていることが多い。
プロ並みの大きな劇団は、当然、すべてが分かれていて、更に演技指導なんかも別に担当している人がいる。
しかし、小劇団の演出家は、その劇団のすべての決定権を持っている人が担っていることがほとんどだ。そこで、どうしても教祖的な位置付けになることが多い。
この記事では、そんな教祖的な演出家が、よく怒るタイプの人だった場合について解説したい。。。良かったら参考にしてもらえると嬉しいです。
演出家とは?怒るものなの?
「怒る演出家」として有名だったのがつかこうへいさん。
傍若無人で、理不尽。平然と残酷な言動を浴びせられたのに、劇団員たちはそれを、甘んじて受け入れ、演技に没頭する。
それがなぜか、観客にウケて喝さいを浴びるほどの仕上がりになるから、劇団員たちはどんなに無茶な要求も受け入れてついていった。
後半のつかこうへいの指導にはなくなっていたそうだが、このような演出家は今でもまれにいる。
演出家になるには?必要な資質
演出家になるには、専門学校などで演出の基礎を学んでおく必要がある、、、なんて思うかもしれませんが、、これは知識としてのものなので、別に後からでもいくらでも学べます。
それよりも第一に備えておくべきものが、リーダーシップ&本質を見抜く力&指導力がです。
- リーダーシップ:大勢の役者をまとめていく
- 本質を見抜く力:役に入り込めているか?役者の適正も引き出す
- 指導力:役柄の方向性を示す説得力など
こういったポイントはないと演出家にはなれません。
演出家が怒る・怒鳴ると役者は変化する
怒られると相手は必ず緊張します。どんなにリラックスしていた状態でも、突然怒鳴られると誰もがピリッとなって集中力が増します。
また、人間は理由もなく怒られると必ず反抗心が湧くものです。
怒られたことで、くやしくなり、今度は「なにくそ!」と踏ん張って集中します。
結果素晴らしい演技になるということに結びついたりします・・・なので、演出家は怒るのが一番手っ取り早い指導ともいえるんですね。
演出家のパワハラ?怒る・言葉の暴力
そうはいっても、プロの役者でもないのに、毎回練習の時に罵声を浴びせられたり、パワハラとも思えるくらいの虐め、身体的や精神的な虐待を受けていたら、だんだんと心もやんでしまいます。
役者を目指しているのに、ひと前でまともに生きていくことも奪われてしまってはもとも子もありません。
演出家のパワハラとも思えそうな怒りの理由についてまとめてみます。
愛があるから
「愛ある鞭」とはよく言ったものですが、役者の演技をもっと素晴らしくしたい、もっと伸びる才能だと信じられている場合、思いが強ければ強いほど演出家はヒートアップします。
よく「られるうちが花」とも言われるように、実際に何も言わなくなったら、諦められたという証拠です。
特によく怒鳴る演出家にはこの症状が謙虚で熱がなくなった役者には一切何も言わなくなります。
緊張感をもたせたい
一時的に大きく怒ることで、集中させたい、という目論見があります。
役者が、前日にいい演技をしたと褒められた、また観客からいい評価を受けた、といった場合、大概は翌日気が緩みます。そんな気の緩んだ役者の演技はいとも簡単に大根役者に成り下がります。
演出家はすぐに察知して、怒りをもって緊張感を作ろうとします。
威厳を保ちたい
なかには、演出家自身の威厳を保ちたい、と思って怒る人もいます。
「赤いトマト」は「青い」と演出家が言えば、役者は青いトマトの役柄を演じないといけません。そういう意味でも演出家は神の存在です。
演出家の指し示す方向性の通り、演じて、その情景を作るのが役者たちなので、絶対的な信頼関係がないと続けませんから演出家の威厳も大事ですね。
使命感に燃えて勘違いしている場合も?
多かれ少なかれ、勘違いしている演出家もいるはずです。度を越えた怒りやパワハラは我慢しすぎないようにするべきです。
見分けはなかなかつきませんが、役者同士のコミュニケーションや練習が終わってからの演出家との対応によって判断するべきなのかもしれません。
一人で抱え込まないで、同じ劇団の役者同士なら、その怒りの矛先について冷静に見ているはずですから、練習が終わってからでいいので、相談してみるのが解決策につながるはずです。
結果:役者の演技が素晴らしくなれば◎
プロの俳優さんでも、演出家のパワハラとも思える言動や行動に耐えて素晴らしい演技をこなしています。(もちろん全員ではありませんが・・)
最終的に、観客が絶賛してくれる演技ができれば結果として評価につながるので、その演出家の指導は正解だったということになります。
演出家としての有名人にパワハラはあるの?
有名な演出家さんでもパワハラ?と思えるような言動や行動があるのでしょうか?
ネット検索で出てきた情報なので、確かな信ぴょう性はありませんが、一部紹介します。
演出家 平野俊一さん
本当か嘘かわかりませんが、三浦春馬さんは生前、「カネ恋」のドラマで演出家平野氏からパワハラを受けていたという情報もありました。
「カネ恋」の時にもだいぶなじられていたような言葉の暴力があったような記載を見ましたが、それはブラッディマンデイの時から続いていたとか・・
「演出家 パワハラ」で検索した結果に表示されていた情報です。
演出家 蜷川幸雄さん
演出家の蜷川幸雄さんも生前たびたび怒ったり、役者をバカにするような発言をしていた情報があります。
「まるで学芸会だな」舞台「ムサシ」のけいこ中、演出家の蜷川幸雄さんにそう言われた時は、さすがに落ち込んだ鈴木杏さん。
どう気持ちを切り替えたのかというと、「切り替えません。そのままズシンと言葉を受けとめて、『よかった』と言われるまで頑張るしかないですよ」
引用:マイナビ転職
演出家 宮本亜門さん
いっぽう、世界中で大活躍した演出家である宮本亜門さんは、「言われたとおりにやってください」ではなく、「自分で考えて自分を出してください」というタイプの演出家でした。
ある役者に「もっと厳しく悪いところは怒ってください」と望まれた。でも亜門さんは笑って「悪いけれど僕は一生怒らないよ」。
自由な環境の中で、自分で考えて成長していくことこそが重要。それが自立ということであり、大変厳しい面でもあります。
人間にとって、規律のあるタテ社会は意外に楽です。ビジネスの社会で、上司の言うとおりに仕事をこなすのは進む方向やレールが見える。
しかし、自分で責任をもち考えながら前に進むことが最も大切で、自分を最大限活かせることだと僕は信じています。
引用元:永井千佳の音楽ブログ
つまり、亜門さんは役者は心を自由にして表現するものといった、演出指導をしていました。
演出家 浅利慶太さん
劇団四季の創立者である浅利さんは2018年に亡くなりました。オペラの演出もされていたそうですが、特に怒ってるような情報は見つけられませんでした。
演出家の和田周さん
俳優や劇作家、演出家として活動した和田周さんは、2020年4月に新型コロナで亡くなりました。和田さんが演出で怒ってるような情報は見つけられませんでした。
演出家 つかこうへいさん
日本の演劇界に革命をもたらしたと言われているつかこうへいさんは、劇作家、演出家として活動。
劇団「つかこうへい事務所」を立ち上げた1974年から、劇団を解散する1982年までの、たった10年足らずで、大きく演劇界に影響を与えた人です。
彼はよく怒り役者をよく罵倒していましたが、独特の演出法「口立て」により稽古をしていたそうです。
つかさんに育てられた大物俳優が多くて、影響がすごいんですが、その後も続いているつかこうへい事務所は次世代にわたっても、その伝統が残っているようです。
海外で有名な演出家たちは怒るの?パワハラは?
日本と違って欧米ではハリウッドスターを代表的に本格的な演劇の世界があります。
いわゆる日本では、若くて可愛いならすぐに演劇や舞台にも入られますが、欧米ではそうはいきません。もっとリアリティのある演技でないと認められないのでルックスだけでは生きていけないのです。
井上芳雄さんが語る海外の演出家との違い
エンタメ通信で井上芳雄さんがこんなことを言っていました。
日本で演出家というと、俳優に対してここがダメだ、あそこがダメだ、だからこうしなさい、と厳しく指導する先生のようなイメージがあるかと思います。演劇用語でいうところの「ダメ出し」を、日本では俳優もスタッフも当たり前のこととして受け入れています。
海外の演出家はそういう言い方はしません。ダメ出しにあたる言葉があるとすれば、ノート(note)といいます。提案という意味がしっくりくるように思います。指導するのではなく、俳優自身に考えさせるのです。
引用元:エンタメ通信
堤真一さんが語る海外の演出家との違い
また、堤真一さんも次のようなことを言っています。
僕は元々、デヴィッド・ルボーや海外の演出家と多く仕事をしてきました。
とにかく自分から発信しないと始まらないっていうのが海外の演出家なんですよ。
彼らはある正解を持っていて、俳優に「こうしなさい」ということがないんです。
「僕にも正解はわからない。君はどう思う?僕はこう思うんだけど?」となる。
日本の俳優はどうしても演出家に「先生、どうしたらいいんですか?」と正解を聞いてしまう。
だから海外の演出家とやる時は、1週間くらい、台本について話し合いますね。
参考元:TBSラジオ
この二人の話を聞いていると、結局役者が自分自身で自然に役柄として湧いてくるイメージによって表現するのが正しいように思えますね。
こういった作業をすぐにできないから日本の演出家は怒るしかなくなるのでしょうか。
まとめ:最後は自分の責任で演技をしなくてはいけない
怒る演出家は、役者が集中していないときなどにいち早く察知して、それを指摘してくれる。
演出家の指示に従っていれば、観客が喜ぶ役作りに没頭でき、間違いなく合わせていける。
だけど、演出家がいなくなったら・・?演出家が変わってしまっては、演技がまったく変わるのではやっぱり大根役者に変わりない。やはり、演出家が怒っても怒らなくても自分で演技の責任はとらなくてはいけない。
つまり、、、、、パワハラかと思えてしまうくらいの要求や言動があったら、それは度を越えてるな、と感じたら、それに応じる必要は全くないということ。
これは、プロの世界でも勇気をもって拒否することは必要かと思います。
そして役者の責任は次の通りです。
- 演劇は「役柄としてその場のその瞬間を生きる」ためのもの
- 自分が今まで生きてきた中で感じた不満や欲求を役に投影させる術
- ほかの役たちとの遭遇により自然に湧いてくる感情も利用する
このような作業は、何度も台本を読み重ね、自分のなかでイメージし、自分で作り上げるためには、セリフを発するときの感情やしぐさ、目つき、見える情景、その前にどこにいたのか、次はどこに向かおうとしているのか?何度も頭に描いてその場面に自分がいる状態になってこそでしか表現できない。
自分で責任をとれば、演出家に怒られるわけもない。
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