観劇

シリアス劇を見てきた・シリアスな劇を面白くするには?

シリアスな劇

先日、知人が出ているので、「シリアス公演」と称されていた劇をみてきた。しかし、本当に面白くなかったので、どんなところがNGだったのか自分なりに分析してみた。

シリアスな劇でも、絶対的に面白かった、と思える劇はあるはずなので、どうしたらそうなるのか?について、まとめてみた。

シリアスな劇ってなに?

「シリアス」をweblioで調べると次のような意味であるのがわかった。

1.きわめてまじめなさま。本格的なさま。「シリアスに考える」「シリアスなドラマ」

2.事態などの深刻なさま。「シリアスな情況」

参考元:weblio

おどけていない、真剣な感じ、さらに深刻なムードであるという、、そういうシチュエーションの劇のことをいうようだ。

深刻な雰囲気の劇

使い方などを調べると、「シリアスな~」というのは、深刻な雰囲気や状況を指して使うようなので、つまり、ネガティブワールドな世界の劇と解釈できるかもですね。

要するに、コミカルな劇やコメディとは真逆のものでしょうか。

悲しい気持ちにさせられる?

コメディの劇を見ると、どこかしらのシーンで笑えるので見終わったら、すっきりした気分になれるし、やっぱり、みんな笑いは好きなんだよな。

受けを狙うためにはコメディ調なのははずせない。しかし、あえてその反対か。

シリアスな劇って何の醍醐味があるのでしょうねえ??複雑な人間関係のもつれた状態を見て、悲しい気持ちに共感することで、何か得るものがあるのでしょうかねえ?

シリアスなシーンがあっても、またほっとさせられるようなシーンもあれば素直にほっとできるんだけど、今回の劇にはなかった。

また、最終的にハッピーエンドな展開になれば、それなりの報酬を得たような気分になれただろう。

しかし、なんだか、やるせない、もの悲しい気持ちになるだけだった。これはいったいなんだろう。不完全燃焼な気持ちともいえたかもしれない。

シリアスな劇を見て3つの感じたこと

今回のシリアスな公演と言われている劇を見て、特に感じたことがあるので、それについて、分析してみたい。

①泣き顔には美しいものとそうでないものがある

主役の一人の女の子が母親に怒られて泣いているシーンがあった。なんと、、ホンモノの涙が目から零れ落ちていたのだ。

しかし、なぜか共感できず、美しいと感じられることもない。その涙にほだされる気持ちになれなかった。なぜか?

泣いている理由

かわいらしい顔立ちの役者さんが、突然ぽろぽろと床に涙を落とし始めたとき、劇場内はシーンとなった。

はじめ、なぜこの役者さんは泣いたのだろう、と私は思った。人は泣いた人を見ると、とっさにどうしたの?となるのだ。そして、このとき、その理由がすぐにわからなかった。

「大人なのにすぐ泣く人」で検索してみた。

すぐ泣いてしまう人は、自分自身では気づかないうちにストレスを抱え、無理をしている傾向があります。そしてそのストレスが不意に限界を迎えたとき、涙となって現れるのです。

参考元:partyparty

このように、たいして怒られていないうちから泣いてしまう人の特徴としては、ストレスが大きく影響しているようなので、自身で克服していかないと、社会で通用しない人間になるのでヤバイことになるぞ、ということがわかる。

つまりすぐ泣く人は、「ちょっとヤバイ人」ともいえるのかもしれない。

ヤバイ人の涙を見ても感動することは難しいです。

心を動かす涙の力

人は、うれしいときや悲しいとき、悔しいとき、また素晴らしいものに出会ったとき、感極まって涙を流します。その涙は、とても美しいものです。

参考元:井上浩之

この人が言っている通りだな。真実の涙ってどんな場合も心を動かすもので、そこに人は感動させられる。

よく女の涙に弱い男性の話題になることがあるけど、誰もが、泣けば心を動かせるわけでもないのだ。

オリンピックでの悲願の涙だったり、甲子園野球の高校球児たちの熱い涙とか、それは、うれしい感情で流したものであろうと、くやしい気持ちであろうと、ホンモノの涙にはつい心を動かされてしまう。

怒られて泣く状況

母親に怒られて泣くときの感情は、どんなものなのか分析してみた。もし、私ならおいそれと涙を母親の前で流したりはしない。

自分の部屋にこもったとしても、あとで母親にされたことを思い出して泣くにしても、きっとくやし涙になると思うのだ。

それなのに、この主役は違っていた。くやしさの涙ではなく「弱者の涙」だった。

つまり・・・この人は「すぐ泣く人」だった。つまりヤバイ人なのだ。ストレスを相当普段からかかえているのだろう。

門限の時間になっても帰らないことの罰として携帯を母親が奪ってしまい、ついには泣いていたのだ。会場に顔がよく見える場所まで出てきて、涙がこぼれるのを見せていた。

しかし、その表情にはくやしさは全くなく、ただ、悲しい悲しい、という感じだったから、「すぐ泣く人」を演じていたに間違いなさそうだ。

「すぐ泣く人」を演じられても感動はできないので、とっても白けた。

②本当に怒っているときは絶対に負けないでほしい

また、母親も父親もなんだか、誰に怒っているのかちょっとよくわからなかった。

主役である娘役がただただおびえていて泣いていたので、この母親も父親もよほど怖いのだろうと想定したが・・・・。

娘役が親の前では、あれだけビビっているんだが、どうにも母親の怖さが伝わってこなかった。

本来なら、あれだけビビるほどの怖さが母親にないと、、もしくは父親と一体化した怖さが観客に伝えてくれないと、リアリティに欠けていることになると思う。

あんな優しい口調で、「あなたをかわいく生んであげたんだから、それを生かしなさいよ~」なんて、まるで空に向かって叫んでるような口調で母に言われたら、娘って泣きますかね??

あたしが娘なら、笑い飛ばすな。泣くわけがないし。ここもリアリティからかけ離れていたしなあ。。

③2作目の家族のメンバーが似すぎていた

この劇はオムニバス形式で3家族のお話をつなげてまとめたものだった。

2作目の主役となっていた娘役の子はとてもリアルな演技をする子だったので、一時的には集中してみることができた。

さらに、笑うべきところでないのに、なんだかずいぶん真剣に怒鳴っているところで「ププッ」と笑ったときがあった。そうなのだ。小学生の娘を演じている役だったんだけど、かなり真剣に怒鳴っていた姿に、なんだか愛嬌を感じてしまい、ぷぷっと笑ったのだ。

やはり、ホンモノの演技にはつい心がひきつけられるものだ・・・と思っていたのに、ちょっと違っていた。

この家族は全員が関西弁をしゃべるんだけど、後半から家族全員の口調が下品になった。

そしてキャラもみんな同じ人のようになったので、全員の個性がまったくなくなった。そのせいなのか?主役の娘の演技も弱く感じてどうにもイマイチ、入っていけなかった。

こうなったら、もう3作目は覚えていない。全く印象がないほど、記憶に残っていない。

まとめ:シリアスな劇に求めたいこと

これは、以前、星野源さんが言っていた言葉だけど、

「普通人前ではみんなかっこつけるし、かっこ悪いことをやりたがらない。だけど、みんな一人だけでいるときって、結構変なことをやっていて、そしてそんな変なことをやっている姿を見たがっているものだから、そういう恥ずかしいことを人前でやることにお芝居をする意義があると」と。

つまり、、、人の悪意や虚栄心こそが、エンターテイメントの醍醐味であるわけで、シリアスな劇は否定するものではない。むしろシリアスな劇こそみんなが観たい劇であるのだ。

だが、シリアスをあえて選ぶなら、究極までのリアリズムを追求してやらないと、観ている人に伝えることはできないんだと思う。

本来の人間の暗部をちゃんと表現してくれれば、きっとそこには思わぬ感動が生まれるはずだと思う。今回は、どうも中途半端な演出と全然ついていってない演技力のせいでか、どうしても観ている側としては夢中になれなかった。

そういう意味では、シリアスな劇よりもコミカルな劇のほうが、演技力も演出も簡単なのかもしれない。

まだ、未発達な役者はシリアス劇はやらないほうが身のためなのかもしれない。。。とにかく残念でした。

こんな中途半端な状態で公演をしてしまう劇団の劇は、もう見たくないなあというのが率直な意見です。

また、自分が演技する立場のときも、シリアスな劇に出る場合、ほんと、頑張って研究しないと、、と思うので、私にはおそらく演じることはできないと思う。。

まあ、大変な劇をやっている役者さん、ほんとお疲れさんでした。